『偶然と伝承の流れ』


淮南子『天の道を円といい、地の道を方という。方は幽をつかさどり、円は明をつかさどる。
   明は気を吐くもの。そこで火を外景という。
   幽は気を含むもの。そこで水を内景という。
   気を吐くものは万物に施し与え、気を含むものは万物を同化する。』

呼吸は古代の人には特別なものだと考えられた。
インドの火神である4アグニは逃げ去り、1アグニだけが水の中から連れ戻された。
残りの3アグニはまだ天界にいる。
アグニは伝説では、火と舌と言語を表す。
天界の3言語は人間には隠されたままだという。
不老の伝説には太陽が出てくる。
知恵の伝説には金星が出てくる。
金星には明けの明星と宵の明星があり、双子星だと信じられた。

赤・黒・白・青の四方位神の伝説。
黙示録の四頭の馬、中国の四海竜王。
優れた馬は竜馬と呼ばれる。
マハーバーラタにも出てくる、古代インドの最高位の祭式はアシュヴァメーダ(馬祀祭)。
太陽の象徴である神聖な馬を、東西南北の四方位に導く祭式。
アシュヴァメーダ(リグ・ヴェーダより)『汝は天界に三個の親縁を有す。
                       三個それは水中に。ゆえにヴァルナと同一』

播磨国風土記に載る神島の、顔に五色の玉を持つ神像は、偶然だろうか。
どこまでが偶然で、どこまでがそうではないのか。

日本には古代、盟神探湯(クカタチ)というものがあった。
争う二人に対し、それぞれ身の潔白を神に誓わせ、熱湯の中に手を入れて焼け爛れなかった方の勝利とする。
チャーンドーグヤ・ウパニシャッドでは、盗みの疑いをかけられた人が、身の潔白を晴らす方法として、ウッダーラカアールニ仙が息子のシュヴェータケートゥに語る。
「たとい灼熱した斧を掴んでも、彼は焼かれず、そして放免されるのだ」
信長公記には、庄屋の家に夜盗に入った佐助というものがおり、証拠の鞘を残して来てしまった。佐助は信長の乳兄弟池田勝三郎の家来だったので、山王杜の前で火起証ということになった。
佐助は真っ赤に焼かれた手斧を取り落としたが、池田の家来たちは佐助をかばった。
そこに鷹狩の帰りの信長が立ち寄った。
信長は話を聞くと、手斧を赤くなるまで焼かせ、斧を掴んで三歩歩いて柵に置いた。
信長は「たしかに見ておったな」と言って、佐助を斬った。『まことにすさまじいありさまであった』らしい。

































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